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ベーゼンドルファーは箱を鳴らす |

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百年記念ホールのグランドピアノを知っていますか?
そのピアノの名は Boesendorfer ベーゼンドルファー
意外や意外、町にこんな凄いピアノがあったなんて・・・
●ちょっと歴史
ベーゼンドルファーの歴史は数あるピアノメーカーの中でも古く、創業は1828年に遡ります。当時ウィーンは音楽文化とピアノの伝統の街としてその名声を確立しており、作曲家や音楽家たちの活躍の場となっていました。
創業者のイグナツ・べーゼンドルファーは1813年19歳でウイーンのピアノ・オルガン製造業者のヨゼフ・ブロッドマンに弟子入りをしていました。1828年に独立し、ウイーンでピアノ造りを始めました。独立当初からベーゼンドルファーのピアノは高品質、高水準で素晴らしい名声を得ており、1830年にはオーストリア皇帝から初めて「宮廷及び会議所にご用達のピアノ製造者」の称号を授けられました。
名ピアニストのフランツ・リストとの出会いもベーゼンドルファーの名を一躍広めることになりました。当時、激しい超絶技巧のピアニストとして活躍していた若きフランツ・リストのエネルギッシュな演奏に耐えうるピアノがありませんでした。ベーゼンドルファーのピアノは初めてリストの演奏に耐えたのです。
1859年、イグナツ・ベーゼンドルファーが他界し、後を継いだ息子のルードヴィッヒ・ベーゼンドルファーはその当時のウィーン音楽界を熱心に支援しました。特にリヒテンシュタイン皇太子の乗馬学校の音響効果が抜群に良いことに着目、皇太子を説得してホールに改造し、1872年、ベーゼンドルファー・ホールが開かれます。それ以後40数年間、1913年に閉鎖されるまで著名な音楽家たちに愛用されウィーンの音楽文化に貢献しました。 Bosendorferは音楽家ばかりでなく、多くの国の王室、皇室、貴族にも愛用されてきました。1869年にはオーストリア・ハンガリー帝国から明治天皇への献上品として納められています。
また、特別モデルとしてその時代の著名な建築家がデザインし制作されたものもあります。ハンス・マカルトがデザインしたフランス皇后ユージェニーのグランドピアノ、デンマークの建築家セオフィル・V・ハンセンがデザインしたフランツ・ヨゼフ1世のグランドピアノ、ヨーゼフ・ホフマンがデザインしたグランドピアノは、響きとともにそのフォルムにも芸術的な美しさを追求し、現在も緻密な木工技術による作品を生み出しています。
世界三大ピアノの一つに数えられるベーゼンドルファーですが、中島らもの「バッドチューニング」にこんなくだりがあります。「スタインウェイは鉄骨を、ベーゼンドルファーは箱を、ベヒシュタインは響板を鳴らす」
●と、ウンチクはこれくらいにして・・・
そのBosendorferをあなたのお子さん、お孫さんが演奏――夢のような話を百年記念ホールがかなえます。もちろん貸し切り、DVD制作もご相談に応じます。世界で一枚だけのアルバムはいかがですか。
どうぞご相談ください。
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マニア垂涎のLP |
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ホールがオープンして以来、公演したアーティストから色紙にサインをいただくのが慣例となっている。メモリアルとしてそれはそれでいいのだが、別なアイデアはないだろうか。
公演時の最新CDにサインもいいけど、サプライズがない。そこで思いついたのが、百年ホールスタッフの愛蔵LPレコードにサインをもらおうというアイデアだ。
とはいえ、公演関係者だからといって図々しくサインをおねだりをするわけにはいかない。必ずマネージャーを通してお願いするのがルール。LPを託すとマネージャーがまず驚く。アーティストはもっと驚き、しばしジャケットに見入り、大事にしてくれていたことへの感謝とともにその時代を懐かしく語り出す。
宇崎竜童、イルカ、ミッキー吉野、中村雅俊のサインには、どれもそうしたエピソードがこもっている。「あゝブルース(ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド)」のサインは宇崎竜童ともう一人、ギターの和田静男のもの。和田静夫はDTBWB以来ずっと竜童と音楽活動を続けている。デビューしたての頃、帯広市民会館のステージで見た白いツナギを懐かしく思い出す。
直径30cm、片面の収録時間は30分。名盤がCDで再発売されてもLPレコードを捨てられない理由は、アナログの音だけではない。かつてのレコード少年をとりこにしてやまないのはジャケットのデザインと、そのサイズだ。12cm(CDサイズ)にそのまま縮小されても、何か違う。30cmのLPが入った袋を大事に抱えて家路につくときのわくわくした気持ちの記憶は、あの大きさと重さなのだ。「あの頃の音楽・・・」というとき、曲といっしょにレコードのジャケットが浮かび、その時代にいた自分も記憶の彼方から浮かんでくる。
CDが販売枚数でLPを上回ったのは1986年のことである。
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ピアニストはサインもアート |
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2005年10月12日、ウィーンが生んだ世界最高峰のピアノデュオと称されるオーストリアのクトロヴァッツ兄弟の「ピアノデュオコンサート」が百年記念ホールで開かれた。ヨハネス(兄)とエドワードの兄弟は、母校のウィーン国立音楽大学教授として教鞭を執りながら、世界各地で演奏活動を行っている。
幕別公演は、リストの交響詩「マゼッパ」で始まり、タンゴやジャズメドレーなどを演奏。アンコールでは日本の曲をアレンジしたハルト・クラマーの「ジャパニーズ・フォーシーズン」が初演奏された。
コンサートの余韻にひたりながら、とある居酒屋で打ち上げとなった。兄弟のどちらのものだったかは失念したが、マーボロのパッケージの美しさに感嘆していると、サインを入れてプレゼントしてくれた。五線譜が描かれた洒落たサインにさらに感激! 百年ホールのパーマネント・コレクションとなる。
「健康に悪影響を及ぼす・・・」と注意書きが大きく印刷された赤箱のマールボロをお返しに差し上げたのは、良かったのか悪かったのか・・・。後に日本でも期間限定で、同じデザインのパッケージが発売されている(写真左)。
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緞帳は田中一光さんのデザイン |

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幕別町百年記念ホール(大ホール)の緞帳はちょっと変わっています。これまでの概念からは、緞帳らしくないデザインといえるかもしれません。
デザインは田中一光さん(1930-2002)。図案家と呼ばれてきた仕事の枠を超え、アートディレクションという領域を確立した、戦後日本を代表するグラフィックデザイナーです。
名前は知らなくても、ロングピースのパッケージ、東京オリンピックのピクトグラムや入賞メダル裏面のデザイン(表面は岡本太郎)、大阪万博政府1号館の展示設計、無印良品のトータルデザイン、ロフトのシンボルマーク、パルコ劇場やセゾングループのアート・ディレクション、数々のポスターや本の装丁・・・・・・、必ずどこかでそのデザインに接しているはずです。
奈良に生まれ京都で学んだ田中一光さんの作風は「20世紀琳派」とも称され、独特の味わいが特徴です。ということは、百年記念ホールの緞帳「十勝の春」は、west meets north(西のイロと北のカタチの出会い)ともいえます。
開演前のひととき、緞帳を何とはなしに眺めていると、潔い省略と洗練されたデザインに、「息をのむけど息が詰まらない」不思議な感覚に包まれます。さて、この絶妙さは何でしょう。
2003年1月、講演会「旅の空から 永六輔の日本見聞録」でホールを訪れた永さんも緞帳を絶賛。わざわざ緞帳をおろして来場者にその素晴らしさを解説してくれました。
そもそも緞帳は、舞台と客席を区切る「用」と、客席から見る「装飾」の役目を併せ持っていて、系譜をたどれば障壁画に行き着きます(緞帳の歴史は「日本における緞帳の歴史」が詳しい)。なるほど「十勝の春」も、20世紀琳派のなせる技かと合点がいきます。
そういえば、幕別町の幕は、舞台幕の幕でした。
※緞帳の制作は、明治27年創業の老舗、京都の龍村美術織物。
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